「来れそう?」
そう聞かれて、少し言葉に詰まってしまう。
本当は行きたい。
応援したい気持ちもある。
でも、その日程を見た瞬間に、頭の中では現実の調整が始まる。
仕事。
子どもの予定。
翌日の負担。
移動時間。
体力。
家のこと。
昔なら、勢いで動けた。
夜でも出かけられたし、多少無理をしても何とかなった。
でも今は、「行きたい」だけでは動けない。
それが悪いわけではないのに、
どこかで少し寂しくなる。
「大事じゃない」わけじゃない
旧友の晴れ舞台に行けない時、
一番つらいのは、
“優先順位を下げたみたいに感じること”
かもしれません。
本当は違う。
大事だから悩む。
行けない理由を何度も考える。
どう伝えようか迷う。
でも、ワーママの毎日は、
気持ちだけでは動けない場面が増えていきます。
子どもが小さい時期は特に、
「数時間空ける」ことにも準備が必要です。
しかも、自分だけの予定のために動くことに、
どこか罪悪感まで混ざることがある。
だから、
“行けない=気持ちがない”
ではない。
むしろ、
行きたいのに行けないから苦しいのだと思います。
昔と同じ距離感ではいられなくなる
少し前までは、
会いたい人には会いに行けていました。
予定を合わせて、
終電近くまで話して、
次の日多少眠くても仕事へ行く。
そんな動き方ができていた時期もあった。
でも40代になると、
生活の中心が変わっていきます。
仕事だけでもない。
家庭だけでもない。
守るものや回すものが増えて、
自由に使える時間や体力は想像以上に減っていく。
だから、人との距離感も少しずつ変わる。
それは冷たくなったわけでも、
関係が終わったわけでもない。
「今の生活の中で、できる形が変わった」
ただそれだけなのだと思います。
応援の形は、一つじゃなくていい
行けないなら、
何もできていない気がしてしまう。
でも、本当にそうでしょうか。
短いメッセージを送る。
後から感想を伝える。
気にかけていることを言葉にする。
昔みたいに全部はできなくても、
今の自分なりの応援はできる。
ワーママになると、
「直接行けるかどうか」だけで
自分を評価しがちです。
でも実際は、
限られた余裕の中で、
誰かを思い出している時点で、
十分あたたかいのかもしれません。
「行けない自分」を責めすぎなくていい
旧友の晴れ舞台。
本当は見に行きたかった。
そう思う日もある。
でも、
全部に応え続けられないのが、
今の人生でもあります。
時間も、体力も、気力も有限。
だからこそ、
行けなかった自分を責めるより、
「大事に思っている気持ちは残っている」
そこを見失わないことのほうが、
これからの人間関係には大切なのかもしれません。


